出羽三山(山形県)は、近世修験道の代表的な地域の一つである。この山は、羽黒・湯殿・月山という聖なる三山からなり、なかでも湯殿山は奥の院である。今回は、江戸時代の湯殿山信仰に関して、三つの面から分析する。一つ目は、湯殿山の高名な行人のミイラ(即身仏)とそれらに関する全身舎利信仰のことである。二つ目は、湯殿山の板碑とそれらを験力するための修行である。三つ目は、湯殿山の巡礼者が使用していた行屋という建物に関する儀礼と意味である。これらを軸に、即身仏・板碑・行屋という聖なる身体とモノを検討し、江戸時代の湯殿山信仰の伝播について考え、山岳信仰の教義・実践に関する人間とモノの作用(エージェンシー)の出現をひもとく。同時に、日本の聖なる山に於ける秘密のメカニズムも明らかにする。これにより、湯殿山が語られることを禁じられた修行の山だったにもかかわらず、その神秘的な沈黙と湯殿山の神々を顕在化させるために独特な信仰の形が出現する。江戸時代には湯殿山の神は流行神となり、湯殿山信仰が広く流布する経緯について言及する。
使用言語: 日本語
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